2006年07月13日

直木賞だよセファリック

また伊坂幸太郎が・・・。
はぁ、これで何回目でしょうかね。
5回目くらいでしょうか。

と言うわけで、直木賞が発表されました。
受賞作は三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』と森絵都『風に舞いあがるビニールシート』
森絵都さんは読んだことがないので何ともいえませんが、三浦しをんさんは好きな作家さんなのでまぁ喜びましょう。
ただ、どちらとも文藝春秋から刊行されている作品なのが何とも言えないところですね。
いろいろなものが透けて見えるような見えないような。

伊坂幸太郎はやっぱり見送られましたね。
まぁ、砂漠で受賞というのもちょっと微妙な感じがするのでいいとは思いますが。

あと、微妙に注目していたのが古処誠二。
一部では前評判も高く、メフィスト小作家から直木賞が出るかなと思いましたが、残念でしたね。

それにしても三浦しをんが直木賞とは。
まだ二十代だったような。
若いですねぇ。
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2006年07月12日

重力ピエロなセファリック

4101250235重力ピエロ
伊坂 幸太郎
新潮社 2006-06




内容(「BOOK」データベースより)
兄は泉水、二つ下の弟は春、優しい父、美しい母。家族には、過去に辛い出来事があった。その記憶を抱えて兄弟が大人になった頃、事件は始まる。連続放火と、火事を予見するような謎のグラフィティアートの出現。そしてそのグラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。謎解きに乗り出した兄が遂に直面する圧倒的な真実とは―。溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに。


小生が伊坂幸太郎を初めて読んだのはこの作品でした。
文庫化されたので再読。

これを初めて読んだときは衝撃を受けました。
なんてすごい小説なのかと。
それから伊坂幸太郎の作品を読み漁って、今の伊坂幸太郎大好きな小生がいるわけです。

そんな記念碑的な作品。
再読してもやっぱり面白かった。

ストーリーとして面白いのはもちろん、登場人物のキャラクター、その人の持つ価値観、その他小道具、すべてが小生の琴線をマルチヒットします。

やっぱり一番グッと来るのはお父さんのキャラクターですね。
癌に侵されながらも、強くやさしく兄弟を見守ります。
うん、こんなお父さんが欲しい。
もしくはこんなお父さんになりたい。

あと、「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」という伊坂幸太郎らしい言葉も胸に残ります。
こういうちょっとひねりの利いた言葉が出てくる人はすごいですね。
尊敬しています。

ただ、初めて読んだときの印象では、もうちょっと謎解きとか伏線に伊坂幸太郎らしいやられた感があったような気がしたのですが、再読してみるとそれほどアクロバティックなことはされてなかったですね。
結構おとなしめでした。
だからと言って作品の魅力が薄くなるわけではないんですけど、ちょっと意外でした。

そういえば、明日は直木賞の発表です。
候補作のうち、伊坂幸太郎の『砂漠』しか読んでいないので予想なんかは出来ないのですが、そろそろ伊坂幸太郎にとって欲しいですね。
ただ、今回もなんとなく見送られそうな気がしますけど・・・。
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2006年07月07日

ネコソギラジカルセファリック

地味に小生の中で行われていた「今更ながら戯言シリーズ大人買いツアー」もとうとうラストです。

4061823930ネコソギラジカル (上) 十三階段
西尾 維新
講談社 2005-02-08

by G-Tools


406182399Xネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種
西尾 維新
講談社 2005-06-07

by G-Tools


4061824007ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い
西尾 維新
講談社 2005-11-08

by G-Tools


本来はここであらすじを引用するのですが、さすがに3冊分も引用すると量も膨大でしつこくなってしまうのであきらめます。
まっ簡単に言うと、世界の終わりを目撃したいという野望を持つ戯言シリーズのラスボスたる狐面の男が、その野望のためになぜか戯言使いを敵に見立ててバトルを仕掛けてくるみたいなお話です。

はぁ、とうとう終わりです。
長かった戯言シリーズもついに読了です。
間にテストを挟んだりW杯があったりで意外に時間がかかっちゃいました。
これだけ長い間読んでいれば、やっぱり終わってしまうとなんか寂しくなりますね。

はっきり言って、小生の中でこの戯言シリーズの評価は微妙です。
面白いとは思うんですけどねぇ。
読み出したらすらすら読めて、なかなかやめられませんし。
途中で読むのをやめようと思ったことはなく、むしろ早く次を読みたいと思ってここしばらく戯言シリーズ以外の本は読んでませんし。

でも、もろ手を挙げて傑作だとはいえない。
それはやっぱり、物語の中で小生には消化し切れなかったことが多々あったからだと思います。
伏線とか謎だとかそういうモノではありません。(確かに伏線だとか謎が回収しきられずにちょっと気持ちが悪い部分もありましたけど。)
むしろもっと抽象的なモノです。
思想とか心情とか哲学とか、そんな感じのものと言えばいいでしょうか。
そのせいで登場人物に感情移入がしにくかったのは確かだと思います。
また時間があるときにでもじっくり読んでみたいと思います。

おっと、これではネコソギラジカルの感想というよりは戯言シリーズの感想になっちゃってるじゃないですか。
一応ネコソギラジカルについても書きましょう。

この作品のテーマの大きな部分は「世界の物語性」だと思います。
「世界の物語性」、つまりこの世界は筋書きが存在する物語なのかどうかということです。
戯言シリーズのラスボスたる狐面の男は物語性を完全に信じています。
そしてその物語の終わりを見るためにいろいろ試行錯誤して戯言使いにちょっかい出したりしてるわけです。
この考え方は面白い考え方だと思います。
そしてある意味便利な考え方だと思います。
この考え方に従うと個人の行動に意味がなくなっちゃいますから。
自分がある行動をしなくても、その行動が世界の物語にとって必要であれば、同じ様な行動を他の誰かが起こすというものですからね。
使い方によっては運命論より便利です。

ただ、進化論が大好きな小生にはちょっと受け入れがたいですね。
世界にメタ的要素を配置するのは悪くないと思うのです。
まぁ、月並みな言葉を用いると神とか天ですかね。
ただ、そんなメタ的な要素がしていることは物語の執筆ではなくて、壮大な実験だと小生は思うのです。
進化論を少し勉強してみると分かると思うのですが、この世界に物語性なんかありません。
あるのは試行錯誤だけです。
執筆されているのは物語ではなく試行錯誤を繰り返した実験結果のみです。
物語と実験レポートの違いは、これから先のことが書かれているかどうかです。
物語にはラストが設定されていても、実験レポートには設定されていません。
だって明日も実験するんですもの。
だから、実験の終わりを見届けようなんていうのはナンセンスです。
実験が終わるのは実験者がいなくなるか、材料がなくなるかのどちらかです。
この場合はメタ的要素がいなくなることは考えられないので、材料がなくなるつまり地球の滅亡するときに実験は終わります。
月並みすぎます。
狐面の男も終わりが地球の滅亡だったら、さぞがっかりすることでしょう。

とまぁ、またまたネコソギラジカルにあんまり関係のない話になってしまいました。
結局ネコソギラジカルの感想あんまり書いてないな。
まっ、いっか。

とりあえず戯言シリーズコンプリート!
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2006年06月25日

戯言シリーズセファリック

あれですね、最近サッカーやらテストやらサッカーやらで、本についての記事書いてませんでしたね。
と言うことで、久しぶりに読書ネタです。

4061822837サイコロジカル〈上〉兎吊木垓輔の戯言殺し
西尾 維新
講談社 2002-11




4061822845サイコロジカル〈下〉曳かれ者の小唄
西尾 維新
講談社 2002-11




406182323Xヒトクイマジカル―殺戮奇術の匂宮兄妹
西尾 維新
講談社 2003-07




「今更ながら戯言シリーズ大人買いツアー」第4弾・第5弾合同企画です。
めんどくさいので3冊まとめて。

『サイコロジカル』については、『クビツリハイスクール』でちょっとずれたのが元に戻った感じでしょうか。
『クビキリサイクル』に近い感じがしました。
小生には『クビツリハイスクール』はイマイチだったので、この『サイコロジカル』は結構好みですよ。

『クビキリサイクル』同様、ラストの解決編には賛否あると思いますが、まぁ悪くはないと思います。
予想できないことはないですし。

まぁ、この小説をミステリとして読まずに、ストーリー重視でキャラ小説として読んでいけばそんな問題は気にしなくていいのですが。

キャラと言えば、この作品のキャラは名前が凝りに凝ってますね。
特に根尾古新(ネオフルアラ)。
新しいのか古いのか新しいのかどっちやねん!と思わず突っ込んでしまいます。

とまぁ、『サイコロジカル』についてはこれくらいで。


次は『ヒトクイマジカル』。

これを読むと、『クビツリハイスクール』が『戯言シリーズ』において意外と重要なポジションを占めていることがわかりました。
『クビツリ』の登場人物がこの作品で重要な役割を果たしているんですよ。
イマイチ気に入らないなーとあんまり真面目に読まなかったことをちょっと後悔しました。

と言うことで『ヒトクイマジカル』。
この作品自体でもそれなりによかったと思います。
「運命」だとか「偶然」だとか「世界の物語の作者」みたいなことを考えるのは小生も結構好きですし。

その分、オチ、というかストーリーの肉付けに不満が残りました。
なんと言うか、不完全燃焼というか。
この終わり方からすると、この『ヒトクイマジカル』は次の作品への前フリ的な位置づけなので、不完全燃焼なのも仕方ないのかもしれませんが。

それにしても、西尾維新は物語の重要な登場人物を容赦なく殺してしまいますね。
このシリーズには殺人鬼みたいな人がいっぱい出てきますけど、一番の殺人鬼は間違いなく作者本人ですよ。
小生は作中の人物に感情移入しながら読む方なので、その感情移入した相手がそう簡単に退場されちゃうとちょっとしんどいんですよね。
主人公みたいに簡単に割り切れませんし。
まっ、実際主人公も割り切ってるのかどうかは分かりませんけど。

ちょっとネタバレになっちゃいますけど、この作品でも、ある登場人物が容赦なく退場させられます。
とは言え、これは主人公の心情を変化させるための退場なので、まぁ物語の進行上必要不可欠なのかもしれませんが。
それにしても、ちょっと胸が痛みます。

とまぁ、そんなこんなで『ヒトクイ』も終了。

と言うことで、『戯言シリーズ』あとを残すのは、ラストの『ネコソギラジカル』のみ。
出来れば今週中に読んじゃいたいけど、まぁ3冊あるしレポート書かなきゃいけないからちょっと無理ですかね。
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2006年06月16日

クビツリハイスクールなセファリック

「いまさらながら戯言シリーズ大人買いツアー」の第3弾です。

4061822675クビツリハイスクール―戯言遣いの弟子
西尾 維新
講談社 2002-08




内容(「BOOK」データベースより)
「紫木一姫って生徒を学園から救い出すのが、今回のあたしのお仕事」「救い出すって…まるで学園がその娘を拘禁してるみたいな言い方ですね」人類最強の請負人、哀川潤から舞い込んだ奇妙な依頼に従って私立澄百合学園、またの名を“首吊高校”に潜入した「ぼく」こと“戯言遣い・いーちゃん”は恐るべき殺戮の嵐に巻き込まれる―。新青春エンタの真打ち、「戯言シリーズ」。


うーん、まぁ正直言って前作の方が小生は面白かったと思いますね。

いや、決して面白くなかったわけではないんですけどね。

ただ、ちょっと登場人物が特別すぎると言うか。
前作はそれなりに、あくまでそれなりに普通の人が出てきていて、その人が壊れていく過程が描かれていました。

しかし、今回はすでにかなり特別な設定の登場人物がバンバン出てきて、その人たちがまぁいろいろな意味で壊れていく過程が描かれています。

これは小生のあまり得意なパターンではなかったですね。

どうせ壊れるなら、日常から徐々にずれて行って・・・と言う方が小生は好きです。

それにしても、才能と学校は怖いなぁと思わされた作品でした。

表紙裏の西尾維新のコメントが印象的なので引用します。

学校が好きだと思っている人がいるとすれば、
その人は学校を知らないか、
あるいは学校しか知らないか、
どちらでしょう。
どちらにしても、
好きな場所のある人は幸せです。


うん、なんとなく深い。
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2006年06月14日

クビシメロマンチストなセファリック

「いまさらながら戯言シリーズ大人買い観戦ツアー」第2弾です。

4061822500クビシメロマンチスト―人間失格・零崎人識
西尾 維新
講談社 2002-05




内容(「BOOK」データベースより)
鴉の濡れ羽島で起こった密室殺人事件から二週間。京都、私立鹿鳴館大学。「ぼく」こと“戯言遣い・いーちゃん”が級友・葵井巫女子とその仲間たちと送る日常は、古都を震撼させる連続殺人鬼“人間失格・零崎人識”との出会いによって揺らめき脆く崩れ去っていく―。そして待ち受ける急転直下の衝撃。一つの世界が壊れる“そのとき”を描ききった新青春エンタの傑作。


はっきり言って、↑の(「BOOK」データベースの内容紹介は裏表紙のあらすじから抜粋したものなんですが、まったく本作の内容を表せていませんね。

零崎人識と「ぼく」が出会ったから日常が崩れ去ったのではないですよ。
むしろ、「ぼく」と葵井巫女子(ネタバレになるので伏せます)が出会ったことで崩れたんじゃないかと小生は思うのですがね。

まぁそんなことはどうでもいいです。
あんまり本筋と関係ありません。
ただ単にいらない先入観が植え付けられるだけです。
読んでいきながら修正すればいいので、別に実害はありません。


前作よりも面白かったと思いますよ。

ミステリとしてはどうなの?とツッコミたくなる部分もありますが、まぁそれも大した問題ではありません。
ミステリとして読まなければいいだけです。

まぁ、どっかに書いてたような気がしますが、この戯言シリーズはミステリではなく、キャラ小説として読むのが正しいでしょうね。

となると、その登場人物を魅力的だと思えるかどうかがこの小説を楽しめるかどうかのポイントですね。

んー、登場人物たちは果たして魅力的なのだろうか?

小生、あさってに、正確には明日ですが、テストがあるので、こんな本なんて読んでいる暇はないはずなのです。
昨日も、寝る前にちょっとだけ読もうと思って読み始めたはずなんです。
それが気づけば2時間ぐらい読み続けて、気づけば朝の4時。

それくらいハマってしまったわけなんですが、登場人物がそれほど魅力的だとは思えないのです。
かといって、自分をそこに投影して感情移入できるわけでもなし。

主人公は自分のことを欠陥品だと思っています。

たぶん、人間それなりに生きてきたら、自分のことを欠陥品だと思わない人はいないでしょう。
自分に欠陥がないと思える人がいるなら、その人はよほど幸せか、よほどアホかのどっちかです。

小生も、自分のことを欠陥品だと思うことがよくあります。
他の人がどのくらいそう考えているのかしらないので厳密な比較は出来ませんが、たぶん人よりもそう思う頻度は高いんじゃないかと思います。

ただ、それでもこの主人公ほどは壊れていない。

とてもじゃないけど、小生にはこの主人公に感情移入できません。

何度も使った言葉ですが、「理解は出来ても共感は出来ない」というやつです。

今回は、途中ちょっといけるかな〜と思ったところが無きにしも非ずだったのですが、ラストでやっぱりコイツは無理だわと思わされてしまいました。

とは言え、それでもやっぱり読ませてしまうのは、どこかに魅力があるからなんでしょう。

やるな、西尾維新。
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2006年06月10日

クビキリサイクルセファリック

4061822330クビキリサイクル―青色サヴァンと戯言遣い
西尾 維新
講談社 2002-02




出版社/著者からの内容紹介
西尾氏、イチ押し。――清涼院流水

絶海の孤島に隠れ棲む財閥令嬢が“科学・絵画・料理・占術・工学”、5人の「天才」女性を招待した瞬間、“孤島×密室×首なし死体”の連鎖がスタートする!
工学の天才美少女、「青色サヴァン」こと玖渚友(くなぎさとも)(♀)とその冴えない友人、「戯言遣い(ざれごとづかい)」」いーちゃん(♂)は、「天才」の凶行を“証明終了(QED)”できるのか?
新青春エンタの傑作、ここに誕生!第23回メフィスト賞受賞作。

理不尽な《首斬り》の横行する馘首(リストラ)時代。絶海の孤島に集められた世界的VIPの天才レディ×5と、お供達(フレンズ)。貴婦人の《首斬り》殺人が連続する。そのサイクルは?オーソドックスな本格ミステリのようで、様式美(パターン)を信仰して疑わない作家ロボットにはゼッタイ創れない物語。とっくに新時代は始まっている、と、今更ながら確信。新世紀のイメージ維新志士が、メフィスト賞から最前線に出陣。いーちゃん、いいじゃん。西尾氏、イチ押し。―――(清涼院流水)


今さらですけど。

いや、今さらですけどね。

読み初めましたよ。

戯言シリーズ。


大学生協がやっている「読書マラソン」なる企画で本の感想をちょちょいと書くと、文庫・新書が1回の使用に限り何冊でも20%引きという割引券をもらったので、これは大人買いのチャンスだなと思って、まぁ戯言シリーズに手を出してみたわけです。

クビキリサイクルが夏に文庫化されるということをどこぞで聞いたので、それまで待とうと思ったのですが、まぁいっかということで20%引きで大人買いです。

さすがにレジを通るときは恥ずかしかったですね。

大人買いをするときはレジの人の視線がちょっと痛いです。

この痛さは、おまけのおじゃる丸人形を集めるためにCCレモンを毎日のように買っていたとき以来です。

あの時も、毎日のように同じ店で同じ店員さんのレジを通っていたので、かなりの居心地の悪さでした。


とまぁ、小生のそんな話はどうでもいいのです。

クビキリサイクルです。

なかなか面白かったですよ。

某傑作古典ミステリーをキャラ立ちさせたみたいな感じの作品だと思っていたら、最後で裏切られました。

ただのキャラが立ってるだけの作品ではなかったです。

最初の方はちょっととっつきにくかったですが、途中からは一気読みでした。


ただ、傑作かと言うと微妙ですね。

たまに、読み終えた後に「何でもっと早く読んどかなかったのか」と思う作品がありますが、これはそこまでは思わなかったですね。

どうしても早く次が読みたいとまでもいきませんし。

同じメフィスト賞作家でも、舞城王太郎の方がかなりインパクトがありました。

作中で、哲学談義っぽいものが出てくるのですが、それも「何とか理解は出来ても共感するのは難しい」といった感じで、イマイチ入り込みにくかったのも傑作とまではいかなかった原因かもしれません。


とは言え、やっぱり面白かったです。

ただのキャラ立ちした作品ではなくて、ミステリとしても十分に鑑賞に堪えられますし。

ちょっと手に取るのをためらうような表紙ですが、まぁ読んでみる価値は十分あるのではないのかなと思います。
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2006年06月06日

銃とチョコレートとセファリック

406270580X銃とチョコレート
乙一
講談社 2006-05-31




出版社/著者からの内容紹介
少年リンツの住む国で富豪の家から金貨や宝石が盗まれる事件が多発。現場に残されているカードに書かれていた【GODIVA】の文字は泥棒の名前として国民に定着した。その怪盗ゴディバに挑戦する探偵ロイズは子どもたちのヒーローだ。ある日リンツは、父の形見の聖書の中から古びた手書きの地図を見つける。その後、新聞記者見習いマルコリーニから、「【GODIVA】カードの裏には風車小屋の絵がえがかれている。」という極秘情報を教えてもらったリンツは、自分が持っている地図が怪盗ゴディバ事件の鍵をにぎるものだと確信する。地図の裏にも風車小屋が描かれていたのだ。リンツは「怪盗の情報に懸賞金!」を出すという探偵ロイズに知らせるべく手紙を出したが……。

やっぱり乙一は乙一でした。

子ども向けの本を書いてもやっぱり乙一でした。

読み始めは、「ちょっと子ども向け過ぎないか?」と思わせておいて、読み終わりには、「ほんとにこれは子ども向けか?」と思わせる。

まさに乙一です。

一瞬でも乙一の才能を疑った自分が恥ずかしいです。

物語の初めは、むかし読んだ江戸川乱歩の『少年探偵団』やモーリスルブランの『ルパン』シリーズ、コナンドイルの『シャーロックホームズ』シリーズみたいな感じだったんですよ。

その雰囲気に見事に騙されてしまいました。

やっぱり乙一でも子ども向けの本を書くとこうなるのかぁとちょっとがっかりしながら読んでいたのです。

でも、そのがっかりも見事に裏切られました。

中盤から乙一らしさが随所に出てきて、ラストはバッチリ乙一でした。

ドゥバイヨルといういじめっ子キャラが出てくるのですが、そいつが主人公を罵るセリフが見事に乙一らしくて、思わず笑ってしまいました。

特に266ページの「うっせぇ、この水虫小僧!」や「この外反母趾め!」というセリフはまさに乙一です。
特に「外反母趾」は乙一くらいしか罵り言葉には使わないでしょう。

とまぁ、どうでもいい話はこれくらいにしておいて。


ラストはうまくやられちゃいました。
やっぱり乙一はミステリの才能も十二分にありますね。

一回、乙一テイストをフルに出したバリバリのミステリを書いて欲しいものです。

それにしても、ラストの展開はちょっとはやすぎるんじゃないでしょうか。
小生が読んでいても、着いて行くのがやっとくらいだったのに、子どもが読んでもちゃんと理解できるんでしょうか。
伏線もいっぱい張られていますし、途中から子ども向けに書いてるのか大人向けに書いてるのかよくわかんなくなってますね。

とは言え、この本はぜひ子どもにも読んで欲しいです。
何が全で何が悪なのか、そういう善悪の基準がいかにあやふやなものかということを知るにはとてもいい本だと思います。
善悪がめまぐるしく変わって、しかもそれをいわゆる大衆がちゃんと評価できていない、ということはよくあることです。
そういうことを、子どもにはこの本で学んで欲しいと思います。

いや、そんなに難しく考えなくても、エンターテイメントとして楽しんだらそれで十分なんですけどね。

2100円となかなか高いお買い物でしたが、それだけの価値はあったと思います。
装丁にも凝っていて、本棚においているだけでなんとなくおしゃれですしね。
ぜひ一家に一冊置いておきたい本です。
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2006年06月05日

大場つぐみとセファリック

乙一の『銃とチョコレート』やっと読み終わりましたよ。

感想はまたそのうち書くとして、今回は別件で気になったことを書きます。

それは、『銃とチョコレート』の著者紹介の欄での乙一の紹介文なのです。

紹介文の最後に

小説以外にも、映画脚本、漫画原作、芝居原案などにも関わっている。


という一文があるのです。

映画脚本を書いているというのは『とるこ日記』等いろいろなところに書いてあるので分かります。

芝居原案も本谷由希子さんの劇団のお芝居の原作を書いていたのでOKです。

問題は「漫画の原作」です。

確かに『GOTH』みたいに乙一の小説が漫画になったことはあります。

しかし、これはあくまで小説が漫画になっただけであって、マンガのために原作を書いたわけではありません。

小生の知る限り乙一が漫画の原作を書いたことはないんですよ。

今、小説すばるで『少年少女漂流記』というコミックが連載されていて、これかなとも思うのですが、古屋兎丸という漫画家とのコラボレーションということで、どうも原作という感じではないんですよね。

他にもネットでいろいろ調べてみましたが、乙一が公式に漫画の原作を書いたという話はどこにも出てきません。

じゃあ、この漫画原作というのは何なんだ?と言うことになります。

で、思い浮かぶのが、実は乙一が正体の明らかになっていない漫画の原作者なのではないかということです。

その候補者として真っ先に思い浮かぶのが、先日ラストを迎えて、映画公開も間近に迫った『DEATH NOTE』の原作者大場つぐみです。

大場つぐみの正体は『ラッキーマン』を書いたガモウひろしというのがもっぱらの定説ですが、実は乙一も対抗馬の一人なんです。

『DEATH NOTE』の予想を裏切る展開も乙一ならば納得できます。

乙一はいろんなことを裏切るのが得意ですからね。

しかも乙一は第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞してデビューしてますからね。

ジャンプとのつながりも大きいはずです。


とにかく、『ラッキーマン』みたいなアホな漫画を描いていたガモウひろしが『DEATH NOTE』の原作なんて小生にはとても信じられません。

ぜひとも乙一であって欲しいですね。

とまぁ、こんな小生の願望を『銃とチョコレート』の著者紹介の欄は支持してくれているのではないかなと。

これまでは「漫画の原作」なんて著者紹介の欄にかかれたことなかったのに、『DEATH NOTE』の連載終了のタイミングで書かれ始めたわけですから。

これは結構可能性あるんじゃないでしょうか。

とは言っても、違う可能性のほうが高いですけど。

追記:
デスノートの第1部と第2部の間の休載期が、もっぱら休んでばっかりだった乙一の少ない活動期に重なっているという情報もあります。
これまた乙一の大場つぐみ説を支持していますね。

406270580X銃とチョコレート
乙一
講談社 2006-05-31




4088736214DEATH NOTE (1)
大場 つぐみ 小畑 健
集英社 2004-04-02



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2006年06月03日

浅野いにおとセファリック

どうも、小生です。

最近、マンガばっかり読んで、字ばっかりの本を読んでいません。

最近そんな気分だったのです。


で、読んでいたのは浅野いにお。

小説すばるの4月号で伊坂幸太郎と対談していた浅野いにおです。

乙一の『銃とチョコレート』を買いに行ったジュンク堂で、マンガコーナーをぶらついていたら目に付いたのでふらふらと買ってみました。

そのとき買ったのが『素晴らしい世界』

後で表紙絵を戴せるので見てもらえればいいのですが、着ぐるみを頭だけ着た人が走っている絵の表紙に魅かれて、作者名を見てみたら浅野いにお。

そういえば伊坂幸太郎と対談してたなぁと思って1巻だけ買ってみました。


で、その日の真夜中に読み終えたのですが、続きがすぐに読みたくなって深夜2時くらいにツタヤまで自転車を走らせたくらい面白かったですよ。

おもしろい?

んー、面白いと言ってしまうのは語弊があるような気がします。

エンターテイメントとして面白いわけでは決してありません。

結構イタい話が多いですし。

それでも、やっぱり面白いと言いましょう。

とりあえず、小生にとっては面白かったです。

どう面白かったのか説明しようと思うのですが、小生のヘボい文章力ではとてもじゃないですが無理です。

気になった人は読んでみましょう。

小生みたいな、ハタチ周辺の少し鬱屈した所をもつ人にオススメです。

きっと、とりあえずあしたもがんばってみようという気持ちになると思います。

小生的には、1巻の「シロップ」が好き。


で、そのままの勢いで浅野いにおの別の作品も読んでみました。

『ひかりのせかい』と『ソラニン』

どちらもよかったです。

特に『ソラニン』はよかったですね。

恥ずかしながら、2巻の途中で泣いてしまいました。

途中で起こる事件、最後のまとめ方などいろいろ言いたくなる部分もありますが、それでもやっぱり傑作だと思います。

もう、これはぜひとも読んで欲しいですね。

あと何回か読んだらいい感じの感想が書けるようになるかもしれないので、そうなったらまた個別に感想を書きますね。


最後に。

浅野いにおにやって欲しいこと。

伊坂幸太郎の作品をマンガ化すること。

特に『週末のフール』

絶対はまります。

どの話でもうまくはまると思うのですが、特に「天体のヨール」はいいと思います。

やってくれないかなぁ。

絶対買うのに。
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2006年05月27日

乙一とセファリック

乙一は小生の中でベスト3に入る作家です。

その乙一の新刊『銃とチョコレート』が今月末に出版されます。

久しぶりの新刊なので、とても楽しみです。

そういえば、『zoo』の文庫化に続いて、角川書店の『失はれる物語』も文庫化されるらしいです。

6月末らしいです。

「ボクの賢いパンツくん」を初収録されるらしいので楽しみです。


で、その乙一ですが、どうやら結婚されるようです。

驚愕の事実です。

あの乙一が結婚?

にわかには信じられません。

乙一FAN!というサイトに6周年を記念して乙一がエッセイを寄稿しているのですが、そのエッセイ中でサラッと触れられています。

嘘かホントかわからないような文章を書く乙一ですが、たぶんこれはホントなんでしょう。

いや、とにかくおめでとうございます。

結婚すると何かとお金が必要でしょうから、ぜひどんどん新作を書いて欲しいものです。

それにしても、乙一が結婚とは。

今年最大のニュースですよ、これは。

406270580X銃とチョコレート
乙一
講談社 2006-05-31



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ぼくのメジャースプーンとセファリック

4061824783ぼくのメジャースプーン
辻村 深月
講談社 2006-04-07




内容(「BOOK」データベースより)
忌まわしいあの事件が起きたのは、今から三ヵ月前。「ぼく」の小学校で飼っていたうさぎが、何者かによって殺された…。大好きだったうさぎたちの無残な死体を目撃してしまった「ぼく」の幼なじみ・ふみちゃんは、ショックのあまりに全ての感情を封じ込めたまま、今もなお登校拒否を続けている。笑わないあの子を助け出したい「ぼく」は、自分と同じ力を持つ「先生」のもとへと通い、うさぎ殺しの犯人に与える罰の重さを計り始める。「ぼく」が最後に選んだ答え、そして正義の行方とは。


よく書けていると思います。

それは間違いありません。

いい作品だと思います。

それを断った上で、小生の感想を述べます。


はっきり言うと、よくは書けていたものの、小生の琴線に触れることはほとんどありました。

きれいな文章とお話が、心の上っ面をきれいになでて行ってくれる様なお話でした。

物語の中盤のほとんどは主人公の「ぼく」と「先生」が、そもそも復讐をするのかしないのか、するとしたらどういった形にするのか、どんな形の復讐が一番相手にダメージを与えられるのか、一番自分を納得させられるのかと言ったことをえんえん話し合うわけです。

ある価値観を与えてそれについて考えさせ、答えが出るとまたそれと対立するような価値観を与える、そしてまた考えさせる、と言った手法をとって話し合いは行われます。

こういった手法は嫌いではないんですが、と言うよりむしろ好きなんですが、いかんせん長すぎます。

内容的にも大して深くありません。

特に、唸らされるような価値観が提示されるわけでもなし。

例えて言うなら、サッカーの試合を見ていて、実況をしているアナウンサーがちゃんと実況をせずに、大してと言うかまったく内容のないような解説まがいのことをしゃべりまくる感じです。

分かりにくいですね。ちょっと違うような気もするし。
まっ、いいか。

とは言え、これはそんなに物語の評価に大きく左右すると言うほどではありません。

一番大きいのは、主人公を含め、登場人物にほとんど感情移入できないことなんですよ。

昨日の記事で乙一の『死にぞこないの青』の感想を書きましたが、そこで
「登場人物に自分を重ねることができるか、もしくは感情移入できるかどうかが、この物語を楽しめるかどうかの分かれ目になると思います。」
と書きました。

この物語も同じです。

偶然なのですが、『死にぞこないの青』とこの『ぼくのメジャースプーン』はある意味対照的な物語だと思います。

同じ小学生の物語だし、「復讐」もしくは「相手に与える罰」(と言い切っていいのかは分かりませんが)というキーワードも共通しています。

その「復讐」の元凶が大人による理不尽な「精神的な暴力」であることも共通です。

また、それを解決するために超自然的なモノが登場するのも似ています。
『ぼくのメジャースプーン』における「不思議な能力」と「先生」を合わせたものが『死にぞこないの青』に登場する「アオ」に相当します。

ただ、2つの物語で決定的に違うのが、主人公のキャラクターです。

『ぼくのメジャースプーン』の主人公は聡明で冷静、感情だけに流されず、自分が納得できて後悔しない罰の形を必死で考えています。

それに対して、『死にぞこないの青』の主人公は、引っ込み思案で流されやすく、復讐の形もろくに自分が納得できる形なんかは考えずに短絡的です。

罰を与えよう、復讐しようと思ってから実際にそれを行動に移すまでの形は絶対に『ぼくのメジャースプーン』の方がうまいんですよ。

これは間違いありません。

でも、やっぱり『ぼくのメジャースプーン』はあんまり心に響かない。

それはさっきも書いたように、登場人物に感情移入できないから。

一方、『死にぞこないの青』は心に響きます。

それは登場人物の心情が痛いほど理解できるからです。


これは心理描写がうまいとか下手とかいう問題ではないと思います。

読む人がどんな少年時代を送ってきたのか、そして今どんな風に生きているのかという問題だと思います。


小生は、『ぼくのメジャースプーン』の「ぼく」には共感はできません。
かろうじて想像はできても、理解はできません。

それが、この物語が小生の琴線にあまり触れなかった最大の理由だと思います。

裏を返せば、登場人物に感情移入できたなら、すごい傑作だと思っただろうと言うことです。

もっと書くべきことはいろいろあるのですが、いい加減まとまらなくなってきたので、ここら辺で終わりです。

辻村深月と乙一、どちらの登場人物に深く共感できるかで性格の分類ができるかも、とちょっと思ってしまいました。

きちんと2つに分けられるわけではないだろうけど、ちょっと面白そうです。
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2006年05月26日

死にぞこないの青とセファリック

30879939.jpg死にぞこないの青
乙一
幻冬舎 2001-10




内容(「BOOK」データベースより)
飼育係になりたいがために嘘をついてしまったマサオは、大好きだった羽田先生から嫌われてしまう。先生は、他の誰かが宿題を忘れてきたり授業中騒いでいても、全部マサオのせいにするようになった。クラスメイトまでもがマサオいじめに興じるある日、彼の前に「死にぞこない」の男の子が現れた。ホラー界の俊英が放つ、書き下ろし長編小説。



とまぁ、本の裏表紙の内容説明を引用するとこんな話です。

とは言っても、実はこの内容説明はちょっと間違いがあります。

最初の、「飼育係になりたいがために嘘をついてしまった」というのは事実とはちょっと違います。

マサオは引っ込み思案で、積極的に嘘をつくような性格ではありません。

飼育係にもすごくなりたかったわけではなく、ただ、ちょっとした勘違いで「自分が飼育係です」と言ってしまっただけなのです。

じゃあ、その勘違いを正せばいいじゃないかと思うのですが、そこは引っ込み思案な性格が災いしてなにも言えず、みんなに嘘をついたと勘違いさせれてしまいます。

そして上に書いたあらすじのような話の展開になるのです。


結果的に嘘をついたとみんなに思われてしまうのですが、決してマサオが積極的に嘘をついたわけではありません。

ここはマサオの性格に大いに関わることなので、あまりいいあらすじ紹介ではないなぁと小生は思いました。


まっ、そんなことはどっちでもいいといえばどっちでもいいんですけど。


確かに乙一らしいですが、乙一の物語にしては大して奇抜でもなく、おとなしめの作品だと思います。

じゃあ大したことない作品なのかと思われそうですが、そんなことはありません。

主人公のマサオがいじめられっこなのですが、その心理描写がすごいですね。

どんなことをされて、それに対して何を考えて、そしてその結果どういった行動をするのか、ということが克明に描写されています。

いじめられてなぜ反撃しないのか、自分は悪くないということをなぜきちんと言わないのか。

客観的に読んでいると、絶対そう思うでしょう。

でも、マサオの心理が克明に描写されているので、「そんな状況になったら確かにそう思うだろうな」と自分をマサオの立場に投影しながら読むことができます。

いじめというのは、第3者的な立場から客観的に見ても何も分からないと思うのです。

ただの事実関係だけでなく、当事者間のパワーバランスだとか、周りの友達とか先生とかとの関係なんかも重要だと思うのです。

その辺りが本当によくかけていると思います。


話の筋は格別いいと言うほどではない分、登場人物、基本的にマサオですが、に自分を重ねることができるか、もしくは感情移入できるかどうかが、この物語を楽しめるかどうかの分かれ目になると思います。

第3者的に読むと、たいしたことのない作品で終わっちゃう気がします。



全般的に内容が暗い分、ラストのエピソードの明るさが際立ちます。

読後感はなかなか爽やかです。
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2006年05月23日

動物園とセファリック

4087460371ZOO (1)
乙一
集英社 2006-05


408746038XZOO (2)
乙一
集英社 2006-05




映画化もされた乙一の短編集『ZOO』の文庫版です。

乙一は、小生の大好きな作家の一人ですが、不思議な作家さんです。

どこが不思議かと言うと、作風がとても広いのにもかかわらず、どの作品を読んでも「乙一らしいな〜」と思ってしまうところですね。


乙一の作品には大きな流れが2つあると思います。

1つは、角川スニーカー文庫で出ている作品のような「せつない系」

もう1つは、集英社から出ている作品に代表される「ちょっとグロい系」

もちろん、全部の作品がこの2つのどちらかに分類されるわけではなく、そんなに単純ではないですけど。

そんな両極端ともいえる作風を持ちながら、どの作品を読んでも乙一らしいなーと思ってしまうのです。

面白いか面白くないか、好みに合うか合わないかは別として、今まで読んだ作品で、「これは乙一らしくない」と思った作品はありませんね。

今まで何度か乙一の作品をここで紹介したような気がしますが、たぶんどの作品にも「乙一らしい」というコメントをしているような気がします。


この短編集『ZOO』もその例に漏れません。

ほんとに乙一らしい作品です。

この作品では、さっき書いた乙一の作品の分類方法があまり役立ちません。

「せつない系」と「グロい系」の境界がほとんどなくなってしまっています。

でもやっぱり、どの作品を読んでも乙一らしいのです。

才能と言う言葉ですべて片付けてしまうのはダメだとは思うのですが、やっぱりすごい才能としか言いようがありません。

一回頭の中を覗いてみたいですね。



『ZOO』の感想を書いていたはずなのに、いつの間にか乙一論になっていました。

一応簡単に作品について感想を書きましょうか。

この短編集は文庫化に際して、分冊化されて『ZOO1』と『ZOO2』になりました。

『zoo1』には、去年の春に公開された映画において映像化された5編が収録されています。

ちなみに収録作品は・・・

カザリとヨーコ

SEVEN ROOMS

SO-far そ・ふぁー

陽だまりの詩

ZOO

です。

この5編の中で一番インパクトがあるのはやっぱり「SEVEN ROOM」でしょう。
ちょっとグロめで何とも言えませんが、インパクトは大きいです。
好みは分かれるでしょうが、すごい作品であることは間違いありません。

この調子で他の作品にも感想を、と思ったのですが、全部に感想を書くのはめんどくさいので書きません。

怠惰な小生を許してください。

というか、乙一の作品は感想書きにくいのです。


『ZOO2』には残りの5編と、単行本未収録の「むかし夕日の公園で」が収録されています。

収録されているのは・・・

血液を探せ!

冷たい森の白い家

Closet

神の言葉

落ちる飛行機の中で

むかし夕日の公園で

です。

「血液を探せ!」と「落ちる飛行機の中で」は乙一のユーモアのセンスが光っていて面白いです。

特に「落ちる飛行機の中で」は書き下ろしなので、好きなように書きましたって感じで、乙一らしさ満載です。

『ZOO2』の方で一番印象に残ったのはやっぱり「冷たい森の白い家」ですかねぇ。

解説で島本理生さんが「大人のための童話みたいな感じ」と評していますが、まさにその通りだと思います。
物語の中盤でダークファンタジーという感じをかもし出すのですが、ラストのオチと言うかヒキと言うかで、「物語の中における現実」にグッと引き戻す感じが何ともいえずうまいです。

他の作品の感想は・・・、すいません割愛します。

怠惰な小生をお許しください。

とまぁ、こんな感じの感想です。

文庫版解説で島本理生さんがベタボメしてますが、そのホメ言葉に十分値する作品だと思います。

この作品を「グロいだけ」と評する感想をたまに目にしたり耳にしたりするのですが、小生に言わせれば、そんな読み方をするのはもったいないです。

小生もグロい作品はあまり得意ではないのですが、乙一の作品ではそんな事言ってられません。

『ZOO』を「グロいだけ」と評する人は、他の乙一の作品読んで勉強して来いやぁと言う感じです。

それでもやっぱり「グロいだけ」なら、小生は「すいません」と言うしかないですけど。
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2006年05月20日

ささらさやなセファリック

4344405048ささらさや
加納 朋子
幻冬舎 2004-04





最近、加納朋子さんの『てるてるあした』がドラマ化されているようで、その関連の本として本屋の平台に載っていたので、1回読んだことあるけど久しぶりに読んでみようかと思って買いました。

と言うわけで、再読の感想です。

最初に読んだときもいい作品だと思いましたが、再読してもやっぱりいい作品でした。

温かいというか、やさしいと言うかそんな感じです。

とは言っても、つらいことや悪意が出てこないわけではありません。
むしろ、たくさん出てきます。

作品の冒頭で、主人公のサヤさんは大好きな夫を交通事故で亡くしてしまいます。
まだ新婚で、子どものユウ坊も生まれたばかり。

唯一の親戚で、これまた大好きだった叔母さんを数ヶ月前になくしたばかりだったサヤさんは、大切な人を続けざまに亡くして失意のどん底にいます。

そんなサヤさんに対して、子どものいない夫の姉夫婦がユウ坊を引き取りたいと言ってきます。

どうしても子どもを手放したくないサヤさんは叔母さんが住んでいて、自分に家を残してくれた佐々良という町に逃げることにします。

まぁ、小生なんかはここでそこで逃げちゃダメだろと思ってしまうのですが、気が弱いサヤさんはどうしても怖くなって逃げてしまうのです。

そんなのでちゃんと暮らしていけるの?という感じですが、大丈夫なのです。

佐々良の町でサヤさんは友達を作ります。
騒がしかったり、口うるさかったり、詮索好きだったりするおばあちゃん3人組(この中の久代さんが『てるてるあした』のメインキャラクターです)だったりとか、サヤさんと同じで若くて独身なのに子どもがいるエリカさんだったりとか。
そんな人たちと交流することでサヤさんは少しずつ強くなっていくのです。

しかし、やっぱり佐々良にも悪意はあります。
どんな悪意があるかを書いてしまうとミステリ部分のネタバレになってしまうので書きませんが、やっぱり些細なものでも悪意はあるのです。

そんなときに登場するのが亡くなった夫です。
おっと、正しくは夫の幽霊です。
夫の幽霊がサヤさんのピンチになると、現世の人間に乗り移って謎を解決しサヤさんを助けるのです。
乗り移るといっても誰でもよいわけではなく、夫の幽霊が見える人、例えばお坊さんだとか駅員さんだとか郵便配達人だとか、にしか乗り移れないんですけど。

そんな感じのお話です。
うん、あらすじ書いてるだけでいい話だ。

サヤさんと、その周り人たちがほんとにいい人なんですよ。

サヤさんは、気が弱くて頼りなさそうなんだけど、実はしっかり芯の通った人です。

例えて言うなら、海草です。
大木のようにしっかりした感じはなく、いつもゆらゆら流されてそうですが、実はちゃんと海底にしっかりくっついてます。
強い台風が来ると大木はその堅さゆえに倒れることがありますが、海草は強い台風で大きな波が来てもやっぱり揺られるだけです。

そんな受け流す強さみたいなものがサヤさんにはあるような気がします。
サヤさんは夫の幽霊が謎を解いて、悪意を見せ付けられても、「でもあの人はやっぱりいい人だったよ」みたいなことを言います。
強いです。
普通はなかなかこうはいえません。

そして、そんなサヤさんの周りに集まってくる人も、やっぱりいい人です。
何かあると、というかむしろ何かなくても、サヤさんを助けてくれます。

サヤさんとその仲間達を見ていると、人と人のつながりもいいもんだなと思ってしまいます。
最近、変な事件ばかり起きますが、こういう本を読むと癒されます。
ふっと疲れたときなんかに読むと、いいかもしれません。
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2006年05月19日

天然理科少年なセファリック

4167679485天然理科少年
長野 まゆみ
文藝春秋 2005-08-03




長野まゆみさんの本を読むのはこれがはじめて。

誰に薦められた訳でもなく、文春文庫・夏の青春フェアで平台に並んでいた本からなんとなく手に取った一冊です。
タイトルと表紙に惹かれました。
小生が、こういう風に面白いかどうかも分からない本をふらっと買ってしまうのはなかなか珍しいです。

そういうわけで、何の予備知識もないままに読み始めたわけですが、不思議な魅力を持つ本でした。
表紙も何か不思議な魅力を持った人形ですが、まさに内容とぴったりという感じです。

物語の主人公は中学2年生の少年です。
彼は母親がおらず、父親と二人暮らしです。
しかもその父親が気まぐれで引越しを繰り返すので、少年もそれに付いて転校を繰り返します。
ある日、少年はいつものごとく突然父親から引越しを言い渡されます。
そして、たどり着いた山間の村で彼は1人の小柄な少年と出会って・・・。

とまぁ、こんな感じのお話です。

強いて言えば、主人公の少年の成長物語なのでしょうか。
少年と父親との絆の物語とも言えるかもしれません。

物語の舞台は本当に一昔前の田舎という感じで、ちょっと非現実的なのですが、不思議に、簡単に自分をその舞台に投影することができました。
語り口がうまかったからでしょうか。
本から離れて現実に戻ったとき、何か不思議な感じがしました。
章と章の間に短い詩が挟まれているのですが、それも何とも言えず効果的した。

うーん、この本の魅力を何とか伝えようとしているのですが、なかなか難しいです。

150ページ弱で短いので、興味があれば小生の感想なんか読むより、実際に読んでみるのが一番早いですね。

いい話、面白い話だと思います。
でも、単純にそれだけではない不思議な魅力を持った本でした。

ふっと衝動的に買った本ですが、なかなかのあたりだったと思います。
こういう風に本を買ってみるのもたまには悪くないかな。
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2006年05月13日

陽気なギャングの日常と襲撃とセファリック

タイトルが無駄に長いですが気にしないでください。

4396208138陽気なギャングの日常と襲撃―長編サスペンス
伊坂 幸太郎
祥伝社 2006-05





やっと読み終えました。
伊坂幸太郎 『陽気なギャングの日常と襲撃』

今日公開の話題の映画『陽気なギャングが地球を回す』の続編です。

『陽気なギャングが地球を回す』の感想や登場人物の説明なんかは「陽気なギャングがセファリックをまわす」を参照にしてください

物語同士をリンクさせるのは大好きな伊坂幸太郎ですが、長編作品の続編を書くのは初めてではないでしょうか。

小生は『陽気なギャングが地球を回す』が大好きなので、かなり期待して読みました。

読み終えた感想は・・・、期待にたがわず面白かったです。

物語は、陽気なギャングそれぞれの「日常」を描いた第1部と、陽気なギャングが4人集まって「襲撃」をする第2部からなる長編です。
一見関係なさそうな第1部が第2部で社長令嬢誘拐事件に微妙にリンクする形になっています。

ちなみに、今回は銀行はほとんど襲いません。
本業を離れて、なんかよくわからない誘拐事件にクビを突っ込みます。
こういうことをするのは何か成瀬さんのキャラクターらしからぬ感じがするのですが、なかなか成瀬さんも複雑な人ですね。

さっき、本業と書いてしまいましたが、よく考えると、成瀬さんの本業は公務員、響野は喫茶店店主、雪子は派遣社員、久遠はスリ?で銀行強盗が副業なんですね。
副業の間違いです。

相変わらずうまいです。
とは言っても、ストーリーではありません。
確かに、伏線の張り方だとかその回収の仕方はうまいです。
ただ、小生の中には「伊坂幸太郎レベル」なるものができていて、その標準レベルでうまいと言う意味で、伊坂幸太郎作品の中で格別うまかったわけではありません。
ラストも大体考えたとおりになりました。
さすがに柔道部員(←ネタバレ反転)は予想できませんでいたけど。
使われなかった伏線みたいなものも多く、短編を長編の一部に組み込むという作業の大変さがうかがえました。

じゃあ何がうまかったのか。
会話です。
この作品の一番の魅力は何か?と聞かれると、小生は間違いなく「会話だ。」と答えるでしょう。
登場人物同士の会話が面白いの何の。
小生、何度も吹き出してしまいました。
特に響野がからむと面白さは5割増しです。
その面白さはここで小生が伝えきれるものではないので、興味がある人はぜひ読みましょう。
久遠が響野の影響でか、ちょっと皮肉っぽいことを言うようになっているので、久遠と響野の会話は特に要チェックですよ。

それ以外にも、ことあるごとに雪子の前で前作の事件のことを持ち出してからかってみたり、ちょっとしたところで前作の名言を持ち出してみたり。
伊坂幸太郎のユーモアのセンスが随所にちりばめられていてかなり楽しいです。

ユーモアと言えば、小生、久遠の「えっと、恐怖新聞です」の部分でかなり笑ったんですが、『恐怖新聞』というマンガが本当にあるんですね。
つのだじろうのホラーマンガらしいです。
今度時間があったら読んでみたいです。

そんなこんなで面白かったです。
『陽気なギャングが地球をまわす』ファンの人は読んで損はないでしょう。
映画も見に行きたいなぁ。
いろいろなブログを見ていると、映画版のキャスティングはイメージどおりみたいなことを書いている人が多いんですが、小生はどうも響野役の佐藤浩市がしっくり来ません。
響野にしてはかっこよすぎるんですよねぇ。
小生の中では響野はもっと変な人なんですけどね。

そういえば、映画の公式ガイドブックに、前作の事件のその後の物語が短編で収録されています。
タイトルは『海には、逃したのと同じだけ良い魚がいる。』です。
短いし、いい話なので、ぜひ本屋で立ち読みするなどして読んでみましょう。
『アヒルと鴨のコインロッカー』の椎名もちょっとだけ出てきますよ。

4396632630映画「陽気なギャングが地球を回す」公式ガイドブック
2006「陽気なギャングが地球を回す」製作委員会
祥伝社 2006-04



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2006年05月06日

さよなら妖精セファリック

4488017037さよなら妖精
米澤 穂信
東京創元社 2004-02




またまた米澤穂信の作品です。

米澤穂信『さよなら妖精』

主人公とその友人が、ふとしたきっかけでユーゴスラビアから日本に来ている少女マーヤと出会います。
2ヶ月間のその少女とのふれあいを通して、主人公達はいろいろと成長していくようなお話です。

とは言っても実はそんなに単純でもなく、ユーゴスラビアの内戦なんかが絡んできてもっと複雑なんですけどね。

あらすじはそんな感じでと。

この本は、どう読むかで評価が大きく分かれると思います。
ミステリーとして読むか、青春小説として読むか。

東京創元社のミステリ・フロンティアというレーベルから出ているものの、ミステリとして読むには物足りないと思います。
小さい謎が数個と、最後に大きな謎が1個あるわけですが、大きな謎も大した謎ではありません。
物語としても大して伏線が効いているわけでもなく、結構予定調和的な話だと思います。

という事で、ミステリとしての評価は普通です。
大していい出来ではありません。

しかーし、これを青春小説として読むと評価は一変します。
傑作とまではいきませんが、いい青春小説に仕上がっていると思います。

主人公の少年が、自分とは違った文化の少女と出会い、大いに影響を受ける。
その主人公に密か(?)に思いを寄せる女の子もいますし、「自分の手の届く範囲以上のことに関わるのはウソだ」みたいな事を言う友人もいますし、青春小説の王道です。

何より王道なのが、主人公の悩み方です。
内戦のさなかのユーゴに帰っていくマーヤに対して、そして内戦状態にあるユーゴに対して何かしたい、何かできるはずだと悩み、そして「ユーゴに連れて行ってくれ」という主人公。
それに対してマーヤは「観光するにはいい時期ではない」と言って拒否します。
後々、その拒否の真意や自分の考えの甘さに気づく主人公。
うーん、青春です。
こんなに劇的ではないにしても、自分には何ができるのか、これからどうするべきかみたいなことで悩むことって誰にでもいっぱいあると思うんですよ。
そこをズバリ突いてきますね。
王道です。

ただ、金城一紀なんかも青春小説の王道を書きますが、それとはちょっと違いますね。

金城一紀の小説がポジティブな青春小説であるのに対して、米澤穂信のそれはちょっとネガティブです。
このネガティブというのは決して悪い意味ではなく、ただありきたりのハッピーエンドにならないということです。
ポジティブとネガティブ、どちらがいいとは一概に言えません。
どちらもどちらでいいところがありますから。

金城一紀で思い出しましたが、彼の著作『GO』でも、さっきの「自分の手の届く・・・」に似たセリフがあります。

確かこんな感じでした。

主人公のパンチドランカーのお父さんが「手を水平に上げてぐるっと一周してみろ。そこで描かれた円の中がお前のテリトリーだ。その中だけで暮らせば傷つかずにすむぞ。どうだ?」みたいなことを言います。
それに対して主人公は「そんな生き方ダサい」と一蹴します。

この辺りにも2人の違いが見て取れて面白いですね。


いつものごとく、ほろ苦いラストですが、読後感は悪くないです。
ミステリとしてではなく、一介の小説として読んで欲しい作品。
間違っても、ミステリ的な要素だけで作品の良し悪しを判断して欲しくない作品です。

それにしても、『オシムの言葉』といい、この作品といい、最近の小生はユーゴに関係する本によくあたっています。
もっとユーゴについて勉強しろということかなぁ。
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2006年05月04日

セファリックはどこだ

最近米澤穂信がマイブームなので、もう少し読んでみることにしました。

米澤穂信『犬はどこだ』

諸般の事情で銀行を辞めた男が一人。
彼は何を思ったか人生のリスタートとして調査会社を始めることにしました。
それも「犬探し」専門の。
でも、開業早々舞い込んできた依頼は失踪人探しと古文書の解読。
この一見無関係のような2つの事件が実は微妙につながっていて・・・。

というお話です。

この作品、面白かったことには面白かったのですが、小生にはいまいちグッと来ませんでした。

とは言っても、クオリティが低かったわけでは決してありません。
むしろ十分すぎるほど高かったと言えるでしょう。

相変わらず、結末は米澤穂信らしいです。

小生の考える米澤穂信らしさとはについては、「セファリックのエンドロール」を参照してみてください。

ある種の爽快感を伴った後味の悪さとでも言いましょうか。
ちょっとハードボイルド風味の物語なので、結末もそれにあわせて苦さも5割増しです。

『愚者のエンドロール』と違って、今回は小生をばっちりミスリードしてくれましたし、ミステリとしての部分に不満は特にありません。

無駄に『オロロ畑・・・』なんかが出てきて、小ネタにも笑わされましたし。

古文書の解読の方のエピソードが、いかにもとってつけた感じ(作中でも書かれていましたが、あんなの探偵に頼まなくても自分で調べられるでしょう)だったのはあまりいただけませんでしたが、特に声を大にして言うほどの不満ではありません。

じゃあ何がダメだったんでしょう。

小生、感想を書いていながら、自分でもよくわかっていません。
ただ、書きながら今ふと思いついたのは、、キャラクターの魅力なのかなということです。
今まで読んできた米澤作品に比べて、今回のキャラクターはちょっと影が薄いというか、魅力がないというか、小生のテイストに合わないというか。
うん、それは確かにあるような気がしてきました。

キャラクターの魅力に作品の魅力を大きく左右されてしまうなんて、小生の感性もまだまだお子ちゃまですね。
もうちょっとしぶい(←「しぶい」にするか「渋い」にするか「シブイ」にするかで印象が大きく変わりますね。ここでは穏当にひらがなで「しぶい」にしておきます)人間になりたいです。

とまぁ、いろいろ書きましたが、ただ単純に小生の中での米澤穂信に対するハードルが高くなっているだけなのかもしれません。
勝手にハードルを高くして、いろいろ好き放題のことを書いて、いったい小生は何様のつもりなんでしょう。
小生、反省します。

ただ、小生の大好きな伊坂幸太郎や乙一や舞城王太郎なんかは、小生がハードルをどんどん高くしてもどんどん越えていっちゃいます。
ぜひぜひ、米澤穂信にも小生の理不尽なハードルを越えて行って欲しいものです。

で、またこんなことを書いて結局小生は何様のつもりなんでしょう。
まったく反省できてないです。
小生、そのことにも反省。

4488017185犬はどこだ
米澤 穂信
東京創元社 2005-07-21



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2006年05月03日

セファリックのエンドロール

米澤穂信『愚者のエンドロール』の感想です。

この作品は『氷菓』に続く『古典部シリーズ』の第2作です。
例の、省エネをモットーとするホータローなる少年が主人公のシリーズです。
『氷菓』の感想については昨日の記事「氷菓が好きなセファリック」を参照してください。

今回の作品は長編です。
省エネホータローのドライビングフォースである千反田えるが今回も事件を引き連れてきます。
ホータロー以下古典部員は千反田えるの誘いで、文化祭にクラス展示として出品されるビデオ映画(仮タイトル「ミステリー」)の試写会に行きます。
ところがその作品、脚本を書く人が体調を崩してしまったため、中途半端なところで終わってしまっています。
ミステリ作品なのに、殺人事件が起こった場面で作品が終わってしまっているのです。
で、結局ホータローたちが結末探しに駆り出されるはめになってしまった・・・という顛末です。

面白かったです。
相変わらずうまいなと思いました。
『春期限定いちごタルト事件』から始まって、これまで米澤穂信の作品をいくつか読みましたが、この作家さんの作品は積み木崩しみたいな感じを受けます。
推理という名の積み木をどんどん積んでいきます。
論理に矛盾があったり、間違った前提の元に推理を組み立てればその結果できる積み木は特に外から力を加えなくても崩れます。
たいていの本格ミステリは、そうならないように隙のない推理で積み木を組み立てていくのです。
その結果、いかにきれいな積み木細工ができたかということで作品を楽しむものです。
しかし、米澤穂信が書く本格ミステリは少し違います。
隙のない積み木細工を作り上げるところまでは一緒です。
違うのは、せっかく作ったその積み木細工を崩してしまうところです。
崩すといっても、完膚なきまで叩きのめすという感じではなくて、修正を施す程度です。
しかしその修正によって物語はさらに面白く魅力的なものになります。
しかもその修正と言うのは大抵が苦いものなんですよねぇ。
その効果で物語が締まるというかなんと言うか。
小生が考える米澤穂信の作品の魅力はこんな感じです。
で、この『愚者のエンドロール』はこの米澤穂信の魅力のエッセンスが凝縮されたような作品だと思うのです。
積み木を積んでは崩すの繰り返し。
いろんな積み木細工が出てきて崩れていきます。
これ以上書いていくとネタバレになりそうなのでやめておきますが。

ただ、この作品にはどうしても気に入らない部分がひとつありました。
あんまり書きすぎるとこれまたネタバレになってしまうので、支障ない程度に書こうと思います。

ミステリの楽しみ方にはいろいろ分類ができると思うのですが、ここでは大きく2つに分けてみましょう。
謎を自分で解こうとするか、作中の探偵役に任せるかの2つです。
前者は作中にちりばめられたヒントや伏線を自ら辿って行って、作中の探偵役より先に真相にたどり着くことでカタルシスを得ます。
一方後者は、ひたすら探偵役の後を追います。
ひたすら騙され続けて探偵による解決でカタルシスを得るのです。

小生は断然後者の方です。
自分で謎を解こうとして解けなかったらへこむし、何より前者の立場を取ると考えながら読まなければいけないので読書に時間を食います。
考える時間があったら先を読もうというのが小生のスタンスです。

後者の読み方は探偵の後を追跡するだけなので一見ラクそうです。
確かに前者よりはラクでしょう。
ただ、一つ問題があります。
それは、解決への近道がふとした拍子に分かってしまっても、探偵さんがそこに気づかないうちは探偵さんの寄り道に付き合わなければいけないことです。
これは結構苦痛です。
作中では探偵さんにヒントをもらうことはできても、あげることはできません。
後者の立場を取ると、フラストレーションをためながらひたすら探偵さんを追跡するしかありません。
長編作品では話が長い分、必然的に探偵さんの寄り道も長くなります。
だから本格ミステリとしての長編作品は小生あんまり好きではないんですよ。
ここでは長編本格ミステリについて語りたいわけではないので、このことについてはまた機会があれば語りましょう。

前置きが長くなってしまいましたが、結局言いたいのはこの作品でもこの状況に陥ってしまったということです。
具体的にどんな状況か言ってしまうとネタバレになってしまって怒られるので、そんな無粋なことはしません。

ただ抽象的に言うと、小生が普通に「こうすればいい」と思ったことをホータローたちはやらずに、ひたすら寄り道をしているのです。
ホータローたちが寄り道するあいだ、小生はずっと釈然としない気持ちを抱えながら読み進めていきます。
最終的には千反田えるがそのことを問題提起してやっと小生の釈然としない気持ちは解消されます。
ただ、小生は釈然としなかったもののホータローの寄り道自体は物語の展開上なくてはならないものです。
この寄り道がなかったら物語は成り立ちません。
だから小生は寄り道するなといいたいわけではないのです。
その寄り道に小生も気持ちよく連れて行ってくれと言いたいのです。

作者が作中の人物をミスリードしてどっかに連れて行くのはもちろん勝手です。
ただ、そこで読者を置いてけぼりにしてしまってはいけないと思うのです。
置いてけぼりになって、釈然としないながらもあわてて付いて行くようでは物語を十分に楽しめないのです。
遠足にハイキングに行って、友達についていきながらもホントにこの道であってるのかなぁと思いながら歩くようなものです。
あんまり楽しめません。
とまぁ遠足の話はともかく、小生は読者も登場人物と同じようにミスリードできるように、作者は作品を書かなければいけないと思うのです。

あそこで小生も一緒にミスリードして連れて行ってくれたらもっと話にのめりこめてよかったのになぁというのが、この作品の唯一の難点です。
それ以外はかなりクオリティの高い作品だと思います。
おもしろかったです。

404427102X愚者のエンドロール
米澤 穂信
角川書店 2002-07



posted by Aorta at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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